60,12月21日 月曜日 13時22分 フラワーショップアサフス



店の奥にある畳敷きの文子の部屋で古田と片倉は彼女と向かい合っていた。
「当時のことは剛志さんからお聞きしました。」
「そうですか。」
「単刀直入にお聞きします。文子さん。あなたは500万の口止め料を貰いましたね。それは誰からのものですか。」
「剛志から聞いたでしょう。コンドウサトミという人です。」
「いえ、私がお聞きしたいのはあなたが口止め料を振り込むようにと依頼した人です。コンドウサトミさんではありません。」
文子は古田の言葉に黙ってしまった。
「忠志さんは口止め料の受け取りを拒んだ。しかしあなたは旦那さんに内緒で口止めを依頼する人間と接触した。だから500万が口座に入金されたんですよね。」
文子は問いかける片倉と目を合わさない。その様子を古田は片倉のそばで観察した。
「あなたが接触した人間は誰ですか。」
文子は黙ったままだ。
「文子さん。我々はあなたが口止め料を貰ったから、罪に問われるとか言ってる訳じゃないんです。ただ、当時の本当のことを知りたいだけなんです。」
この片倉の台詞にはっとした文子は、塞いでいた表情から一転して片倉の目を正面から見ることとなった。
「…あの人も同じことを言っていました。」
「あの人?あの人って誰ですか。」
「一色くん…です…。」
文子は瞳に涙を浮かべていた。片倉と古田はお互い顔を見て頷いた。そして片倉が続けて質問をする。
「文子さん。その一色と同じように我々にも教えていただけませんか。」
「刑事さん。」
そういうと文子は改まって座り直してお下座をするように二人に頭を下げた。
「お願いです‼これ以上聞かんといてください‼この通りです‼」
「文子さん…」
「お願いです。お願いです…これ以上私を責めんといて下さい‼」
何度も何度も畳に頭を擦り付けるように懇願する文子を前に片倉と古田は困惑した。
「文子さん。私はあなたが何故そこまでその人物の名前を言うのを拒むのかよく分からんのですよ。仮に私たちが今聞いている人間が仁熊会の関係者であったとしてもご心配ありません。あなた
「お願いです。もうこんな思いを誰にもさせたくないんです…」
髪を振り乱し何度も頭を下げた文子の様子は明らかにやつれている。
ここまで証言を拒む理由はよくわからないが、このまま聴取を続けるには彼女の負担が大きすぎる。そう判断した片倉は古田に改めて出直すかどうか諮った。それを受けて古田は片倉に代わって文子に言葉をかけた。
「文子さん。剛志さんが言っとりましたよ。感謝しとるって。」
「え?」
「詳しい経緯は分かりませんが、昨日そのことをすべて剛志さんに打ち明けたんでしょう。今回の被害者の一人がかつてこの店で働いていたアルバイト。そのことで心の中がぐちゃぐちゃになっているのに、更に精神的に負担となる6年前の過去の件を彼に話したんでしょう。あなたのその心の傷の大きさを考えると剛志さんは聞くタイミングを間違えたと後悔していましたよ。しかし、それでも正面から向き合って話してくれたことに感謝をしとるって。」
この言葉に文子は肩を震わせて泣いた。
「でも…でも…。」
「我々はそんなあなたに随分な負担をかけてしまったようです。土足で他人の家に入り込むような聴取をして誠に申し訳ございませんでした。」
古田は文子を前に頭を下げた。その様子を見ていた片倉も彼に合わせて深々と頭を下げた。
「課長。今日は一旦帰りましょう。」
古田は片倉にそう言うと、畳に置いていたメモ帳とコートを抱え立ち上がった。片倉も頷いて再度文子に会釈をして立ち上がろうとした。
「待ってください。」
古田と片倉は振り返って彼女を見た。
「聞いていいですか。」
「なんでしょう。」
「私がその交渉役の名前を言うことで、その人は何かの罰を受けることになるのでしょうか。」
片倉は古田と顔を見合わせた。
「それは何とも言えません。口止め料の授受だけでは基本的に犯罪の構成要件を満たしません。しかし6年前の事故、つまり忠志さんの死に何らかの形で関わっているとなればあなたおっしゃる可能性は否定できません。」
「文子さん。あなたはなぜ交渉役を庇うようなことを仰るんですか。旦那さんが殺された疑いがあるというのに、なぜかその重要参考人の情報を明らかにすることを拒んでいる。それでは交渉役とあなたはもしや謀議を計っているんではないかと思われても仕方がありませんよ。そうなればあなたまで我々は捜査の対象と見なければなりません。せっかくの剛志さんの感謝の気持ちをあなたは踏みにじることになりますな。」
先ほどまで文子に寄り添うように接していた古田は、手のひらを返したように彼女に言い放った。その表情は非情である。文子は愕然とした表情で古田を見た。そしてうなだれてしまった。
「それでは失礼します。」
「一色…。」
その場から立ち去ろうとした古田と片倉は振り返った。
「一色くんは約束をしてくれました。」
「約束?」
「そう、その交渉役を必ずこの手で引きずり出して相応の罰を与えると。」
文子は自分の手のひらを見つめそれを握りしめた。
「一色には言ったんですね。それが誰か。」
「はい。」
「誰ですか。」
「…鍋島惇。」
「まさか…。」
古田は思わず声を発した。
「可笑しいですよね。旦那の殺害に何らかの関係を持っている人物も、その真相を暴こうとしている人も、昔うちに出入りしていた剛志の友達同士。でも昨日から鍋島のことは絶対に許さないと言っていた一色は、うちでバイトをしていた由香ちゃんを殺した連続殺人事件の容疑者。鍋島は依然として行方不明。もう私は誰を信じていいのか分からない…。」
「…何てことだ。何て事になってたんだ…。」
片倉は呆然とした。
「刑事さん。私は何を信じればいいんでしょうか。お願いです。教えてください。」
再び嗚咽してか細い声で救いを求める文子に古田が答えた。
「…家族です。」
「え。」
「文子さん。あなたが今もっとも大事にすべきは家族です。」
この言葉に文子は堰を切ったように泣き出した。古田は再び文子と正対して座った。そして一枚の顔写真を文子の前に差し出した。
「これがあなたにする最後の質問です。鍋島惇はこの男でしょうか。」
サングラスをかけて振り返る様子の写真。もともと遠くから写されたものを無理やり拡大したため粗い画像である。文子はそれを手にとってしばしの時間沈黙を保った。そして首を捻った。
「違いますか。」
「サングラスをしていたら分かりません…。」
「…やはり…そうですか。」
古田は少し落胆した声を出した。
「あ…ちょっと待ってください。ひょっとして…」
涙を拭った文子は立ち上がって、押入れからアルバムを持ってきた。そしてそれを古田と片倉の前でめくり始めた。
「剛志の高校時代の写真です。あの時はみんな仲が良くて、部活以外でもどこに何をしに行くのかわからないけど、よくあの子らは遊んでいました。剛志はカメラが好きでしてね。ほら当時あったでしょ、インスタントカメラって。あれでよくみんなの様子を撮っていたんですよ。ひょっとして…」
アルバムには剣道の試合や集合写真の中に混じって、カラオケでふざけている様子、合宿先かどこかでバーベキューに興じる様子などがあった。
「あ。」
古田がそういうと文子は手を止めた。
写真の中に剣道部の皆が仮装のようなものをしてポーズをとっている写真があった。その中に古田が差し出した写真と同じ様な丸型のサングラスをかけている男がいた。
「鍋島。」
片倉と古田は同時に男の名前を呟いた。
「すいません。この写真、しばらく預かってもいいでしょうか。」
片倉の申し出に文子は応じた。
「文子さん。よく私達に教えて下さいました。本当にありがとうございます。」
古田と片倉は文子に向かって深々と頭を下げた。
「ひとつ言い忘れたことがありました。」
「なんですか。」
「あなたが信ずるべきものはもうひとつある。」
「はい?」
「我々です。」
「え?」
「我々を信じてください。必ず事件の真相を突き止めて見せます。」
文子は古田の顔を見て部屋の仏壇に置かれた忠志の遺影を見た。遺影の忠志はこちらに向かって微笑んでいる。彼女は忠志に向かって頷き彼らに向かって一礼した。
「どうかよろしくお願いします。夫の無念と桐本さんの無念を晴らしてください。」
「約束します。必ずや真実を白日の下に晒してみせます。」

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