11,12月20日 日曜日 10時10分 佐竹宅



―どれもこれも景気の悪い話ばかりだな。

広げた新聞には世の中に対する悲観論が充満していた。

今度の内閣人事に関する分析と課題についてばっさりと斬り捨てられた政治面。

デフレによる景気後退。それに伴う消費の低迷はますます深刻さを極めつつあるとする経済面。

所得や雇用の格差に関する社説。

親が子供を殺したという殺人事件が大きな枠を占領している社会面。

この世は救われることのない、苦しみばかりの地獄であると言わんばかりの紙面だ。

地獄の原因は政策の失敗であるそうだ。現政権を打倒することが唯一の問題解決方法らしい。

だが、現政権を打倒してどのような舵取りを期待するのか。

野党から具体的な政策提言はなにもない。
とにかく現状をぶっ壊せば何か良くなる。
こんな論調が新聞紙上にも世の中にも蔓延していた。

―こんな新聞毎日読んでいたら頭が変になる。

そう思って佐竹はそれをしまい、テレビに目をやった。チャンネルは先ほどと変わらない。

テレビではアイススケートの大会で優勝した選手のそれまでの軌跡やプライベートの様子を解説つきで伝えていた。しかし突然画面が切り替わってメインキャスターが映し出された。

「えー先ほどの金沢で起こった殺人事件について、新しい情報が入ったようなので現場から中継でお伝えします。」

画面が切り替わり、先ほど中継で出演していた記者がマイクとノートを持ってこちらに向かって立っていた。彼の背後には金沢北署。署内の会見場から走ってきたのか、彼の息は切れていた。

「はい。先ほど行われた警察の記者会見で衝撃の事実が明らかにされました。」

ーは?なんだそれ。

レポーターが興奮した様子でそう言うと即座に一枚の顔写真がテレビの前に映された。
写真の彼はその眼鏡の中の瞳で、佐竹をじっと見つめている。

「容疑者は一色貴紀。36歳。県警察本部刑事部長。現職の警察官です。」

その言葉を聞いて佐竹は一気に血の気が引いた。

「え…。」

言葉が出なかった。画面から伝わってくる鉛のような重量級のエネルギーが彼を包み込む。体が動かない。金縛りとはこういう状態を指すだろうか。
テレビの向こう側の記者とスタジオのメインキャスターは質疑応答をする。

佐竹は近くにある棚の上の写真にゆっくりと目をやった。
その写真には自分を含めた高校時代の剣道部のレギュラー五人が写っている。五人の真ん中に蹲踞の状態でこちらをまっすぐ見つめる男がいた。

「そんな…馬鹿な…。」

剣道防具の垂には一色の名前が刻まれていた。
佐竹は再びテレビを見た。テレビでは容疑者は拳銃を携行している恐れがあるという事で注意を促していた。そして時々容疑者の顔写真がインサートされる。
突然携帯が震えた。佐竹はそれを手に取った。村上からだった。

「もしもし。」
「おう、俺だ。おまえ…今…テレビ見ているか。」
「お…おう…。」

村上と話すのは三週間ぶりだ。声色から彼も動揺しているように感じ取れた。

「これって…一色だよな。」
「あ…あぁ。」

もう一度画面に映っている写真と自分の部屋に飾ってある写真を見比べてみる。
テレビに映る顔写真は昔の写真の人物の面影を色濃く残している。

「そうだと思う…。」
「やっぱり…。」

二人の間にしばしの沈黙が流れた。テレビが事件の事をひととおり伝え、別の話題に移った時、村上が口を開いた。

「なぁ…どうする…。」
「どうするって…どうしようもねぇよ…。」

自分以上に村上は動揺している。そう思った佐竹はテレビを切り立ち上がってブラインドの隙間から外を覗いた。雨が降ってきていた。

「あの…村上さぁ…。お前あいつと連絡とってんのか。」
「ん?誰だあいつって。」
「一色だよ。」

数秒前と違ってやけに冷静な自分になっている事に佐竹は気づいた。

「いや…とっていない。何だ。」
「いやな…あいつ警察官だったって俺、いまテレビ見てはじめて知った。」
「あぁ…俺もだ...。」
「金沢にいるってこともはじめて知った。」
「ああ...。」
「だからその程度の付き合いの男なんだよ。」
「え?何だお前、その冷めた言い方は。」

先ほどまで動揺していた村上の言葉に多少の怒気が含まれていた。佐竹はそれを無視した。

「なあ、今はそんな事で動揺している場合じゃねぇだろ。」
「どういうことだ。」
「お前も俺もなんだかんだって忙しいんだ。高校時代にちょっと付き合いがあった程度の友人の心配なんかするよりも自分のことを考えたほうがいいんじゃね。」

携帯の向こうで村上を呼ぶ女性の声が聞こえた。

「はっ佐竹。お前ずいぶんと冷てぇ事言うんだな。」
「んだよ。」
「曲がりなりにも高校時代に同じ釜の飯を食った仲だろ。んでそん時の経験は俺らに大きな影響を与えた。お前もそうだろ。」
「それとこれと何の関係があるっていうんだよ。」
「確かに俺はあいつと連絡はとっていない。だけどそんなお前みたいに今は付き合いないから赤の他人だって言い切れんよ。絆ってもんがあるだろう。」
「それでどうするんだ。」
「わからん。これから考える。」
「けっ相変わらず面倒くさい男だな。」

佐竹は呆れた。

「お前がそんなに薄情な男だとは俺は思ってなかったよ。仕事が入った。また連絡する。」

通話を終了し、佐竹は深いため息をついた。そして高校時代の写真を手にとりそれを見つめた。
自分は今まで困難や悩みに直面した時、よくこの写真を見てきた。血のにじむような練習を積み重ねた。部員間でいろいろな軋轢もあった。
しかし結果として全くの無名だった高校が県大会で準優勝する事ができた。目標を持って必死になって何かに打ち込めば必ず結果は伴う。そのことをこの時はじめて体を持って知った。高校時代は佐竹の価値観に大きな影響を与えた時代だった。

しかし、そのかけがえの無い時代を部長として牽引していた男が、重大事件の被疑者として現在捜査の対象となっている。

―何かの間違いかもしれない。

どうしても受け入れがたい。本当にあれは一色なのだろうか。だが高校時代の面影がしっかりと残っている写真に写った彼の表情から考えると同一人物と考えるのが妥当だ。

佐竹は自分の気持ちの整理ができないでいた。村上には突き放した発言をしたが、それは自分の混乱ぶりが表面に出ただけのこと。さっきの発言のように振る舞うことが自分にとってできる唯一の事だともわかっている。一色とは高校卒業時から一切連絡も取っていないし、その方法も持ち合わせていない。そんな疎遠な関係である人間のことを親身になって考える事ができない。村上は絆と言った。絆をもってそこまで一色の事を考える事ができる村上が羨ましくもあった。

―赤松や鍋島はこの事をどう思っているのだろうか。

佐竹は自分と村上そして一色と共に写っている残り二人の事を考えた。

振り返ってみれば、あれだけ皆で打ち込んできたにも関わらず、高校時代の剣道部の同窓会のような催しは一度も開いていなかった。
部長の一色の音頭がなかったからという訳でもなく、何となく燃え尽きた感から自然とお互いが疎遠になっていったためだ。佐竹は村上とは偶然クラスが同じだったせいか、部活を引退後も交流を深めていたが他の三人とは学校ですれ違う時に軽く挨拶する程度だった。そんな中でたまにはみんなで集まるという発想も生まれてこず、何となくお互いがぎくしゃくした感じを持ち、そのまま疎遠となっていった。それから赤松とは今から三年程前に偶然、香林坊でばったり会った事がある。そのときに何となく近況等を少し話して連絡先を交換したが、それ以降どちらからも連絡を取っていない。

―赤松の家は花屋だったな。

自分の得意先にも花屋がいるので、朝早くから夜遅くまで働くその意外なまでの重労働について佐竹はわかっていた。
クリスマスも近くなりポインセチアのような季節ものの花やプレゼント用の花の販売で忙しくなるのはさることながら、葬儀やブライダルを抱えている花屋の多忙さも佐竹も知っている。そういった事情を知っているだけに佐竹は連絡するのに躊躇した。

―行ってみるか。

どうせ自分は何も用事がない。全くの休みだ。あれやこれとつまらない事を考えているくらいならば、外の空気を吸いに出てみるのも良い。そうすれば少しは気持ちの整理もつくだろう。それに現在の赤松もどんな仕事をしているか知りたくなってきた。

佐竹はタンスの中からグレーのニットと白いシャツを取り出した。若干の湿気を帯びた冬のシャツはそれを着た佐竹の肌に冷たい刺激を与えた。冬の着替えは生地の冷たさに対していちいち身構えなければならないので、大変おっくうである。

佐竹は着替えると残っていたコーヒーを飲み干し、車の鍵をもって部屋を後にした。


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